刹那的に生きたい

好きなことと思ったことをだらだら書きつづる雑記ブログ

天気の子を観たよという話

 

ボーイミーツガールっていうのは、ロマンだよね。

 

 

 

小学校高学年くらいの頃から、ラノベを読むのが好きでした。好きな声優さんつながりでアニメから入ったものの、元々活字が大好きだったから面白いぐらいずぶずぶといろんなラノベを読み漁った記憶があります。

あの頃一番好きだったのは「フルメタル・パニック!」で、「つづくオン・マイ・オウン」のあたりからしんどくなりすぎちゃって追うのをやめてしまいました。最後の最後は無事にハッピーエンドだったらしいけども。

あれは戦う男の子と護衛対象の女の子の「ボーイミーツガール」だけど、今回の二人はそんな劇的な感じじゃない。でもそこはかとなくロマンを感じる、ような気がする話でした。

 

こっからだいぶネタバレを含むので、ネタバレ踏みたくない方はブラウザバックでお願いします。

 

 

 

 

主人公の帆高が出会った陽菜は局地的に雨を晴らすことができる女の子で、狂った天気を戻すためには彼女が生贄として天に召し上げられなければならない、っていうのが大筋でした。もうね、割とこの設定だけでちょっと胸熱。ラノベで育った人間としては大好物でした。

中学生が描きそうなベッタベタな「トクベツな」設定をこうも上手く物語として仕上げられるものなんだなぁと思ってちょっと感動しました。設定自体は物珍しいものじゃないけど、情景の描き方がすごく好き。雨とか、その中に浮かぶ東京の風景とか。主人公の動きはちょっと身勝手なとこがあったり優柔不断なとこがあったり周りが全然見えてなかったりイライラするとこもたくさんあるんだけど、16歳の男の子ってこんな感じなんですかね。16歳の男子高校生だった時代がないからよく分かりません。

そんな等身大(?)の帆高に比べて、陽菜ちゃんがすごくすごく「大人」に描かれてるような気がして、なんだかたまらなくなる瞬間がたくさんありました。実年齢を考えれば十分に庇護を受けて育つべきだし、小学生の弟があれだけしっかりしてるとは言え、年齢を誤魔化してまでバイト漬けで、でも行きずりの帆高を心配してハンバーガーを奢ってあげる甲斐性まである。自分勝手な理由(かどうかは結局分からなかったんだけど)で親の庇護下から飛び出した帆高と比べたら、やむを得ない事情で二人ぼっちになった姉弟がなんか……かわいそうで……。かわいそうっていう表現もアレですけど、ここの対比が苛立ちの原因かなと思いました。

中学生くらいの創作ってメインの人物に結構思い過去とか設定を乗せたがるんだけど、なんかそんな感じ。

 

拳銃を撃つあのシーン。

最初、腰を抜かして動けなくなった大人や帆高よりも一番に動いた陽菜ちゃんは、本当に強い子なんだろうな……と感じました。気丈な子に描かれすぎてる気もするけど、こういう作品の「女の子」っていうのはそういうもんです。「女性」だとちょっと違うのかな。

廃ビルに逃げ込んで啖呵を切ったはいいけど、割とすぐに帆高の元に戻ってきた陽菜ちゃん。ここ、同じ回を見てた大学生くらいの子たちも言ってたけど、なんであっさり戻ってきたんだろうな…と疑問でした。ほっぽり出してもいいはずなのに。もう十分帆高が罪悪感に苛まれて、反省しただろうって思ってくれたのかそれとも、やっぱり助けようとしてくれてありがとうっていう気持ちがあったのか。なんにせよ、ほんとに陽菜ちゃんが女神のように描かれていて、これ、見る人が見たらちょっと引いてしまうだろうなっていう場面がいくつもありました。なんか、女の子に夢を見てるなぁと思う。

最後に拳銃を構えたところ。陽菜ちゃんが否定した拳銃をあっさり手にしてしまうほど、帆高は追い詰められていたんだろうなぁと思いました。でもそれは自分の首を絞めることに他ならないんだけど、それでもそれ以外の選択肢が思いつかない。

「天気の子」はずっと、いろんな選択肢の中から、その選択肢を気付かせないほど自然に登場人物たちが選択肢を選んで織り重なってきた話、という感覚がちょっとありました。なんか他のブログでも読んだような気がするけど、大抵の物語もそうなんだけど、特にそれを強く感じたような気がします。本当はたくさんの選択肢がごろごろと転がっているはずなんだけど、「16歳」の「男子高校生」では他の選択肢に気づけない。「18歳」の陽菜ちゃんなら選び取れたかもしれない選択肢も、「15歳」の彼女には選ぶことができなかった。あれだけ聡明で賢い凪くんも、「小学生」だから掴み取れないものがたくさんあったはず。それに気付けているはずの「大人たち」は自分のことで精一杯で、他の可能性や選択肢から目を背けている。そんな感じ。そんな中で、「モラトリアム」である夏美が帆高を追手から引き離して道を繋いでくれるところ、あそこは本当に好きでした。

自分のためにしか選択肢を選べない大人と、誰かのための選択肢を選びたくても選ぶ力がない子どもの対比も、それはそれは苦しくてよかったなぁと思います。最後に帆高と陽菜ちゃんのための選択肢を選んでくれた須賀さんのところで一番涙腺が崩壊しました。2回観たけど、2回ともよかった。

 

「君」と「世界」のどちらを選ぶか、というのは結構創作の永遠のテーマであるような気がしています。オタクってそういうの好きでしょう。わたしは大好きです。

以前読んだ別の作品で、「世界のために君を失った」という話がありました。世界を守るために大切な女の子が犠牲にならないといけない、でもそれはなんとしてでも阻止したい。周りの力も借りながらなんとか助け出そうとした男の子は、あと一歩のところで女の子を守れずに死なせてしまうという話でした。それも一種のボーイミーツガールで、女の子自身も自分が助かることより、世界の平穏が続くことを願った話だった、ような記憶があります。

天気の子はそれとは真逆で、「君を失うくらいなら、世界なんて狂ったままでいい」という話でした。大抵のヒロインはこれを嫌がったりもするんですが、ようやく自分たちのための選択肢を選ぶということを覚えた陽菜ちゃんは、帆高と一緒にいることを選ぶんですよね。今まで自分のために祈ったことのほとんどなかった彼女だから、よかったような、よくなかったような、この世界に住む人のことを考えると、何が正解だったのかなぁと分からなくなります。

でも、世界のために犠牲になった大切な子を取り戻しに行くという話は、それはそれで燃えるものがありました。大抵の物語は一人が犠牲になって終わってしまうから、それでも取り戻したい、会いたい、っていうところが描かれていてよかった。絶望で終わらない。ここに、いい意味で帆高の子どもらしさと向こう見ずなところ、自分のために選択肢を選び続けてきた彼らしさが表れていると思います。

そして、狂った世界が描かれるところ。

水に沈んだ東京で、「世界の形を変えてしまった」と悩む帆高を、大人たちが軽くあしらうシーンがあって。「元通りになっただけだ」「世界は元から狂ってる」なんでもないことのように言うんですけど、誰か一人でもいいから責めてくれる大人がいてくれてもよかったのになって思いました。もちろん誰が信じてくれるというわけでもないんでしょうけど、ここで誰かに責められなければ、もしかすると次こそは選択肢を間違えてしまうかもしれない。帆高は自分の守る対象以外には無茶なことをする傾向があるから、この子もっかい警察に追いかけられるんじゃないのかなと心配になりました。大人って、結構大事な役割を担っていると思うんですが、事情を知ってる須賀さんですら、責めてはくれませんでしたね。

 

「僕たちは、大丈夫だ」で終わり、「君の大丈夫になりたい」という歌詞で締めくくられる天気の子。すごく不安定で、すごくちっぽけで、すごく懐かしくて羨ましくなるような話だったなぁと思います。雨に沈んでいく世界で生きていくしかなくて、自分たちがそうしてしまったという罪悪感はあるけれど、それでも、ここで生きていけるって、大丈夫だって、思えるのって羨ましいなぁって思いました。若さだね。それだけ真っ直ぐに大切にできる人がいるのって、いいよね。

 

 

 

ボーイミーツガールっていうのは、ロマンです。

必ずしも男女である必要はないんだけど、誰かと誰かが出会うっていうのは、世界が変わっていくきっかけの一つで、それが大きいか小さいかの違いだけで、毎日いくつもの出会いが世界を変えてるんじゃないかなぁと思います。

賛否両論あると思いますが、すごく面白かったです。梶くんリーゼントだったね!

 

おわり。